色褪せないおもしろさ、稀代の天才「桂枝雀」の落語

落語で大爆笑をおこす名人枝雀

落語家さんの話をするのにいきなりですが、小さい頃は基本的に落語が苦手でした。

落語の話の中に出てくる登場人物の粋なやりとりや、ウィットに富んだ会話などはむしろ好きなほうだったとおもいますが、こと「笑い」として考えると少し疑問が。

わたしは関西で育ったので、御多分にもれず小さな頃から「笑い」に関しては少しこだわりがあります。

落語も身近な笑いのひとつでそこそこ観る機会もあったのですが、思わず吹きだしてしまうほど面白いと思ったことがない。

古典か芸術か何か知らないが「笑い」を看板にかかげる以上、知的な面白さ(interesting)だけでは「笑い」として不完全ではないかという疑問がどうしても頭に浮かぶ。

落語という文化はもしかして既に時代と逆行するものになってしまっているのではないか?

走り出した幼い思考は。一度動き出すととどまる隙をあたえず、いつのまにか落語を見下してしまうような始末。

いまにも「伝統芸能という重力に魂を縛られた落語家たちに、語りかける言葉など持ち合わせてはいないっ!」と言い出しかねないような、嫌な子どもでした。

※関西では幼少の頃から、良くも悪くも「笑い」に関してアイデンティティー(自分の基準)を確立している方が多く、各人の絶対に譲れないこだわりがあります。

「昨日のM-1で優勝した○○のツッコミの間が嫌い。真の勝者は××だった。」など専門的かつ評論家的な会話が、老若男女を問わず町のあちこちで交わされています。

落語は本当は面白い

そんな暴力原理主義者も顔負けな、極端な「反落語」の過激派的思想を一変させたのは桂枝雀さんの落語との出会いでした。

それは今まで観てきた落語のイメージを覆すもので、ただ、ただ楽しく、思わず吹きだして声が出てしまう、ある意味純粋な「笑い」でした。

今、私が「笑い」に関して比較的穏便で、一般的な意見を持てるようになったのも枝雀さんのおかげです。

話題の人気芸人の永野さんのネタが、自分の想定よりも比較的多くの人に受け入れられるものなのだと、今はきちんと整理し客観的事実として理解できます。(あまり治ってないような気も多少しますが・・・)

もう亡くなって10年以上が経ち、枝雀さんをまったく知らない世代も増えています。とにかく、知らない方にはぜひ一度体験してほしい、桂枝雀さんの魅力をすこしだけ語ってみたいとおもいます。

背景ボケ写真

わかりやすく派手で、誰もが楽しい落語

枝雀さんの落語の一番の魅力は、お客がお腹を抱えて笑うことを最優先に創り上げられているところです。実際に過去の映像などを見ると、枝雀さんの落語で寄席に爆笑が起こります。

寄席の中継などでよく見られる上品な「ハハハ」といった笑いではありません。俗に言う「会場がどっとわく」ような、こらえきれず吹きだしてしまう大きな笑い声が寄席に響き渡ります。

枝雀さんの落語には、いわゆる気取った感じの雰囲気があまり存在しません。舞台へ登場して話の最初こそは静かに始まりますが、枕が終わり本編に入ると段々と様子が変わってきます。

ときには両手を大きく広げて振りまわし、ときには身体を派手に揺らしたり。座布団一枚のスペースを端から端までいっぱいに使って、右へ左へ所せましと動き回る。

コミカルな場面では顔の表情も使って(いわゆる顔芸)観客を惹きつける。

わかりやすく派手で楽しい、サーカスや遊園地のような枝雀ワールドが展開されていきます。

ストイックに笑いを追求する葛藤

落語という伝統芸能の性質上、守らなければルールやしきたりなども数多く存在します。ネタにしても新作、創作よりも古典を好む傾向が強い。

しかし枝雀さんはあくまで「おかしさ」をストイックに追及します。

お客さんがどうすれば笑うのかを徹底的に突き詰めそれを自身の落語に反映していく。そのこだわりと真面目さが、ときに周囲との軋轢をも生んでしまいます。

その落語の面白さからどんどん人気が出る枝雀さん。だが今までに無い派手で型破りな手法を、好ましく思わない一部の落語家さんから批判なども受けることもしばしば。

テレビなどにも引っ張りだこで人気が出てくる反面、落語界での枝雀さんに対する風当たりは強いものに。

ついには枝雀さんの落語協会の脱退という事件にまで発展してしまいます。

月の写真

59歳という早すぎる死

晩年はその真面目でストイックな性格から、うつ病を再発させてしまい59歳の若さで亡くなるという結果に至ってしまいます。

亡くなって10年以上経過した今でも、その早すぎる死を悼むファンが多くおられます。

古今東西、今も落語家さんは数多くおられ話の巧い方もたくさんおられますが、これほどお客に声を出して笑わせる落語家さんは枝雀さん以外に思い当たりません。

昨年亡くなられた枝雀さんの師匠であり、人間国宝でもあった桂米朝さんが「枝雀は私よりも大きい存在になると、ずっと思っていたからね。」と自身の回想の中で語られている言葉が重みをもちます。

とりあえず観てほしい

長々と書いてしまいましたが、言いたかったのは「桂枝雀の落語は声を出して笑うほど面白い」という一点です。

じゃあそれだけ書けばおしまいなんですが、それじゃあブログの記事にならないのでご容赦を。

これまで枝雀さんの落語を観たことが無い方は、You tubeなどでもすぐに動画が見つかりますので、ぜひその落語を体験してみてください。

そしてぜひ明日からあなたも携帯音楽プレイヤーに枝雀さんの落語を入れ持ち歩いてください。

落語を持ち歩くなんてちょっと気持ち悪い?そんな桂枝雀という歴史に輝く落語家の名人芸を理解しない人の声に耳を傾ける必要はありません。

そんな世間体などという重力に魂を・・・以下略。

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